お散歩が気持ちいい季節です。
以前は小動神社の別当寺院だったと言われるお寺「浄泉寺」まで歩いてみたので、ご紹介していきます。
小動山浄泉寺
浄泉寺は、JR藤沢駅とJR鎌倉駅を結ぶ江ノ島電鉄線(江ノ電)「腰越」駅から徒歩3分ほど。
駅に近い古参道を通して、ひっそりと佇んでいるように見えます。
山門まで行くかを少し迷ったのですが、今回は古参道から入りました。
開山は弘法大師の空海、その後寂の元秀によって中興されたと伝わる小動山浄泉寺。参道入口にも弘法大師と記した碑が建てられていて、弘法大師 相模二十一ヶ所霊場 第16番になっているそうです。
参道を過ぎればすぐに、国道横とは思えないほど緑豊かな境内ですね。
正面に見えるのは永代供養廟、中央に弘法大師の座した像があります。
左側には仏像が5体刻まれた石塔。これは宗派関係なくあちこちの寺院に置かれています。
そして、右側の案内板には以下のように案内が書かれています。
“この永代供養廟は昨今の少子化、核等によって、墓地の維持継承に不安がある方の為に建立を発願致しました。今後は代々住職によって供養させて頂きます”
また「虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん」という弘法大師の名言も刻まれていますね。
詳しいことはよく知らないのですが「この世に一人でも、苦しんいる人がいるのであれば、私の大誓願(衆生済度)は終わらない」という意味なのだとか。
弘法大師は、苦しむ人を助けたいという想いを常に抱いていらしたようです。
地蔵堂
永代供養廟の隣には、地蔵堂が建てられています。
鎌倉のお寺には、よくお地蔵様があるのですが、地蔵堂まであるのは珍しいかもしれません。
写真を撮り忘れましたが、中にはお地蔵さまと仲良く弘法大師像も祀られています。
複雑な歴史
こちらの浄泉寺、古く小動神社の別当寺で、一時は新田義貞が鎌倉攻めの途中で奉納した剣が保管されていたという話もあります。
明治の神仏分離で別当寺制は廃止されたのですが、こちらは大正6年まで小動神社の管理を続け、一般的な時期より遅くに神仏分離したという、珍しい歴史があるのだとか。
ちなみに明治初期の神仏分離政策で、神社のほうは「八王子社」から「小動神社」へ改称しています。浄泉寺の扱いはどのようなものだったのでしょうか? 真相は謎に包まれています。
また、以前は近くにある青蓮寺(鎖大師)の末寺でしたが、現在は京都・大覚寺の末寺になっています。
そして、長く地域に根ざしたお寺の歴史は、神仏だけではありません。
江戸時代には、このお寺でも寺子屋が開かれていて、近辺ではこの浄泉寺が一番盛んだったとか。そのため、1872年に学制がしかれた当時、散在していた寺小屋をここに集めて発蒙学舎とし、現在の腰越小学校に繋がるのだそうです。
本堂
参道から入った右手にあるのが、本堂です。
右の柱には「小動山 浄泉寺」左の柱には「左剣不動明王」と書かれています。
書かれている通り、ご本尊は左手に剣、右手に索(さく)を持って腕を交差させた不動明王像だそうですが、一般公開はされていません。
不動明王といえば右手に剣を持っているのが一般的な印象です。めずらしい左利きの不動明王像、機会があれば一度参拝してみたいですね。
一方、参道から入った左手には山門があり、国道134号線に面しています。
もとは江ノ電の線路のほうを向いて建てられていた山門と本堂、国道が出来た際にこちらに移動したのだそうです。
山門は、お寺にしては少し珍しい朱塗り。騒がしい国道と静かな境内をきっちり分ける結界のように、何か神秘的な印象を受けました。
私は古参道から入りましたが、初めて訪れる方はぜひ山門からお入りください。きっと、国道の喧騒と緑の境内の境界を感じられるでしょう。
浄泉寺
住所:神奈川県鎌倉市腰越2丁目10-7
電話:0467-31-5577
アクセス:江ノ島電鉄線「腰越」駅から徒歩約3分
駐車場:無し