義経・弁慶が滞在し腰越状をしたためたお寺 腰越「満福寺」
2023年12月20日

秋晴れの空の下。

腰越に古くからあるお寺、満福寺を訪ねてきました。
歴史上で重要な役割を果たしたこのお寺は、地元ではとても有名です。

急階段のてっぺんにあるお寺

江ノ島電鉄線(江ノ電)「腰越駅」を出たら、目の前の道路を左手へ進みます。
するとほどなく「満福寺」の看板が、頭上にあるのでよく見てください。

看板の角を曲がると、細い路地。
江ノ電の小さな踏切の向こうに、お寺が見えます。お寺までは駅から徒歩5分程度でしょうか。

右手のスロープはやや穏やかですが、幅が広くはないので、車が通るときは注意が必要です。境内には駐車スペースもあるので、車の方はこのスロープを上がりましょう。

駐車スペースは8台分。広々とした駐車スペース、というわけにはいきません。法事等がある日はそちらの方々を優先したいものです。手前に有料コインパーキングもあるので、そちらも活用してください。

徒歩であれば、左手の階段が正式な入口。急階段なので、若い方でも気を付けて上がりましょう。

階段の途中で振り返れば、こんなに近くを江ノ電が走っています。
鎌倉ならではの光景ですね。

義経・弁慶ゆかりの地

満福寺は、聖武天皇より疫病追放を命じられた行基が、草庵を結んだのが始まりだと伝わっています。

後に1185年に壇ノ浦で戦功を挙げた源義経が、頼朝から鎌倉に入ることができずに腰越にとどまっていた時、弁慶とともに滞在したのがこの満福寺です。「弁慶寺」とも呼ばれたこともありました。

義経と弁慶は、この寺にいる間に頼朝に宛てた有名な書状「腰越状」をしたためたとされており、腰越状の下書きが保管されています。
弁慶が書き、義経が筆入れして直したとされる腰越状。その様子は本堂向かって左手に石像として飾られていました。

本堂向かって右手には、弁慶がお手玉にして力試しをしたという「弁慶の手玉石」が飾られています。相当重そうな石で、弁慶が怪力だと伝えられるのも納得です。

手玉医師の後ろには、源義経公慰霊碑が建てられています。
鎌倉幕府で活躍することはなかった義経ですが、腰越の人々にとっては大事な人物なのです。

他にも「弁慶の腰掛石」や「弁慶手沢の椀」「錫杖」腰越状を書く時に墨を摺る水を汲んだ「硯の池」など、弁慶ゆかりの物が数多く残されています。境内のあちこちにあるので、探してみてください。

鎌倉彫の襖絵を見たい

拝観料は大人200円、中学生以上100円。本堂は毎日拝観できます。
季節によって拝観時間が異なるので注意してください。

基本的に年中無休ですが、不定期にこんな場合もあります。

私が行った日はちょうど葬儀を行っていたため、本堂内の拝観は遠慮しました。

本堂に入れば全ての襖(ふすま)に、源義経の人生が描かれています。義経と静御前の別れの場面や弁慶との最期の場面などを描いた、鎌倉彫の襖絵は一見の価値あり!
全部で三十二面もあり、見ごたえたっぷりです。ぜひご自分の目で見てきてください。

満福寺
住所:神奈川県鎌倉市腰越2丁目4−8
アクセス:江ノ島電鉄線「腰越駅」徒歩5分 / 車の場合は横浜横須賀道路「朝比奈インター」より25分
電話:0467-31-3612
営業時間:09:00~17:00
定休日:なし
駐車場:駐車スペース8台あり